頑張りたいのに頑張れない理由を考える
- 2020.02.08
- 雑記
頑張りたいのに頑張れない。自分はダメな人間だ。
こう思ったことはありますか??
私はあります!むしろ一度と言わずわりと頻繁に思ってます。
でも、そんなの普通じゃない?
よし!痩せよう!ですんなり痩せられる?
よし!東大に入ろう!で入れる?
よし!昇格しよう!で成果を上げられる??
むりむりー。
「よし、頑張ろう!」とモチベーションを持つことと、時間や労力を「計画」することって誰でも簡単にできる。
こんな感じで。
痩せるために1日50回腹筋しよう。
東大に入るために1日9時間×1年勉強しよう。
昇格するために仕事の合間に資格をとろう。
この計画通りに出来るのなら、誰もが何にでもなれ欲しいものは手に入るはずなのさ。
が、一番の難関は行動で
「自分は自分の思い通りになるわけではない」悲しき事実を軽視すると失敗する、
したさ、うんざりするほどした。
だから「頑張りたいのに頑張れない」私は、
頑張れないけど頑張りやすくするにはどうしたらいいかって、ずっと考えてた。
手掛かりになりそうなのはこの3つかな。
- 思考のクセを考える
- 時間の管理を考える
- 頑張る自分をイメージできるか
思考のクセを考える
何気なくしているようで、頑張ることの大きな弊害になるような思考の流れ方はない?
私にとってはこの2つが罪深い2代巨頭。
- 未来の自分よ頑張れ思考
- ちょっと一息ついてから思考
未来の自分よ頑張れ思考
今日はできない、というかもうやりたくない。そんな時に、この思考へ流れてしまいやすい。
明日早起きすれば大丈夫
土日で巻き返せるはず
頑張れ明日のわたし、頼んだぞ週末のわたし
この流れ、大体は明日の早起きはできないし、土日も思っていたほど進みません。冷静に考えてみれば、今日なかった原動力が土日にある保証なんてない。
なぜか、早起きができる前提で考えるし。
朝アラームが鳴った時の自分は、自分であって自分じゃない。昨日の決意なんて忘れてるよ。「ねみぃよ」としか思わない。
疲れたから、たまには持ち越し。だったら問題ないけど、この「未来の自分よ頑張れループ」にハマってしまうと中々抜け出しづらく。
今日もできない、次の日もできない
日を持ち越すたびに、自分の中にも負の感情が積もり積もってよくないです。
だから出来るだけ今やる。
いま頑張れないなら、未来の自分も頑張れるはずなんてない。そう思ってふんばりたいところです。
ちょっと一息ついてから思考
思考というほど大げさなものじゃないけど。
よっしゃこれからやるぞ~~!!!!
と、その前にちょっと休憩〜。スマホもチェック〜。
これがめちゃくちゃ危険です!罠です、魔境です。
大量の時間を無駄にするばかりか、やっと始めた作業の効率も落ちることが多い。
頑張るにおいて、最大のエネルギーを要するのが行動開始。
「本当はサボりたいのにな」の深層心理があると、現実から目を背けるように休憩から抜け出せない。さらにいる時間が長ければ長くなるほど出られなくなります。こえー
だから、どんな手を使っても「まずは開始すること」を最優先で考えます。自分をごまかしてでもです。
よ〜〜し、やるぞ〜〜!なんて構えることなく、すぐやめてもいいと思って始める。
とりあえず腹筋の1回目をやろう。
とりあえず参考書を開いてペンを握ろう。
こんないい加減な調子で初めても、やり始めるとなんだかんだでやるから。始めたもん勝ちだと思ってる。
時間の捻出について考える
大人の時間は限られてるよ。
誰しもが仕事や家事、育児。何かしらの社会の役割を持ってる。
それを知っていながら敢えて言っちゃおう。
「頑張りたくても、時間がとれない」と思ってしまうならすでに詰み。
1日24時間なのは未来永劫変わらないので、時間は一生とれないのです。多くの場合、年を重ねれば重ねるほどやる事は増えるのです。仕事も家庭も。
とれるまで待つなら老後まで待つがよい。
以前、知人が嘆いていた。
「仕事して帰って、食事して風呂に入る。こんな生活のどこに時間が作れるっていうんだ!」
作るしかない。としか言えない。
時間を作る。ってこれ文字通り。
引きちぎって、こねくりあげて、切って貼って作る。何を引きちぎるかといえば今の日常。
- 趣味の時間をあてるか
- 睡眠時間を削るか
- 食事時間を削るか
- 仕事を早く終わらせるか
「この生活が当たり前」と感じてる枠を取っ払っわなきゃ時間は捻出できないと思う。。
時間の捻出は、自分を楽にする方法でもある。頑張る時間を作ることが出来るなら、休む時間を作ることも出来はずだから。
頑張る自分をイメージできるか
「一生懸命、頑張ります」
もしこれが社交辞令でないなら、どんな風に頑張るかイメージはあるのか。これって意外と大事じゃだとと思うの。
自分の話をします。
わたし、小学3年生くらいまですっごく足が遅かったんです。今も昔も運動センスはゼロ。
体育でも運動会でも、徒競走はビリだった。既に「自分は運動ができない」って一種の諦めがあったから。全く気にもせず向上心もなかった。
そんなある時、授業で100mを走る。
どうせ私はビリなんだから早く終われーと念じながら走る途中。
「あれ?もっと体を動かそうと思えば動くかも」っていきなり感じた。
確かに足も腕も、まだ伸びしろがあることに初めて気づいた。
じゃこれをめちゃくちゃ動かしてみよう!って。どうせビリなんだから何でもいいやって。
ヤケクソで走った。
授業もクラスメイトもその瞬間は忘れてた。
気がついたらビリから2位に追い上げてゴール。自分のことだって信じられなくて呆然。
その時、
全力にはやり方があるんだ。頑張るってこうやるんだ。
と幼いなりに思ったんです。
30歳を超えた今でも、「頑張る」の根底にはこの時の記憶が強く残る。
それまでも、頑張って走ってなかったわけじゃない。「頑張ってたつもり」だった。走り終わったらゼーゼーいってるし。いやどう考えても全力でしょコレって。
何が言いたいかって、
「頑張る」の閾値は自分次第ってこと。
どこまで頑張れるのか
どうやって頑張れるのか
頑張った結果がどうなるのか
まだ見たことがない頑張った姿と、頑張った先の未来をイメージできたなら。頑張ることがもっと楽しくなるんじゃないかな。
まとめ
頑張りたいのに頑張れない
そんな時は
頑張れない自分が、頑張りやすい流れを作る。
そんな視点で考えてみるといいかもしれません。ていう話でした。
いんふぁー
ランキング参加しています。押されると喜びます。
-
前の記事
プリンにまつわる大発見 2020.02.04
-
次の記事
空虚感を満たせない限り自分は一人で走り続けるしかないのか 2020.02.16
コメントを書く