頑張りたいのに頑張れない理由を考える

頑張りたいのに頑張れない。自分はダメな人間だ。
こう思ったことはありますか??

私はあります!むしろ一度と言わずわりと頻繁に思ってます。

 

でも、そんなの普通じゃない?

 

よし!痩せよう!ですんなり痩せられる?
よし!東大に入ろう!で入れる?
よし!昇格しよう!で成果を上げられる??

むりむりー。

「よし、頑張ろう!」とモチベーションを持つことと、時間や労力を「計画」することって誰でも簡単にできる。

こんな感じで。

痩せるために1日50回腹筋しよう。
東大に入るために1日9時間×1年勉強しよう。
昇格するために仕事の合間に資格をとろう。

この計画通りに出来るのなら、誰もが何にでもなれ欲しいものは手に入るはずなのさ。

が、一番の難関は行動で
自分は自分の思い通りになるわけではない」悲しき事実を軽視すると失敗する、

したさ、うんざりするほどした。

だから「頑張りたいのに頑張れない」私は、
頑張れないけど頑張りやすくするにはどうしたらいいかって、ずっと考えてた。

手掛かりになりそうなのはこの3つかな。

  1. 思考のクセを考える
  2. 時間の管理を考える
  3. 頑張る自分をイメージできるか

 

思考のクセを考える

何気なくしているようで、頑張ることの大きな弊害になるような思考の流れ方はない?
私にとってはこの2つが罪深い2代巨頭。

  • 未来の自分よ頑張れ思考
  • ちょっと一息ついてから思考

未来の自分よ頑張れ思考

今日はできない、というかもうやりたくない。そんな時に、この思考へ流れてしまいやすい。

明日早起きすれば大丈夫

土日で巻き返せるはず

頑張れ明日のわたし、頼んだぞ週末のわたし

この流れ、大体は明日の早起きはできないし、土日も思っていたほど進みません。冷静に考えてみれば、今日なかった原動力が土日にある保証なんてない。

なぜか、早起きができる前提で考えるし。
朝アラームが鳴った時の自分は、自分であって自分じゃない。昨日の決意なんて忘れてるよ。「ねみぃよ」としか思わない。

疲れたから、たまには持ち越し。だったら問題ないけど、この「未来の自分よ頑張れループ」にハマってしまうと中々抜け出しづらく。

今日もできない、次の日もできない

日を持ち越すたびに、自分の中にも負の感情が積もり積もってよくないです。

だから出来るだけ今やる。

 

いま頑張れないなら、未来の自分も頑張れるはずなんてない。そう思ってふんばりたいところです。

ちょっと一息ついてから思考

思考というほど大げさなものじゃないけど。

 

よっしゃこれからやるぞ~~!!!!
と、その前にちょっと休憩〜。スマホもチェック〜。

 

これがめちゃくちゃ危険です!罠です、魔境です。
大量の時間を無駄にするばかりか、やっと始めた作業の効率も落ちることが多い。

頑張るにおいて、最大のエネルギーを要するのが行動開始。

「本当はサボりたいのにな」の深層心理があると、現実から目を背けるように休憩から抜け出せない。さらにいる時間が長ければ長くなるほど出られなくなります。こえー

だから、どんな手を使っても「まずは開始すること」を最優先で考えます。自分をごまかしてでもです。

よ〜〜し、やるぞ〜〜!なんて構えることなく、すぐやめてもいいと思って始める。

とりあえず腹筋の1回目をやろう。
とりあえず参考書を開いてペンを握ろう。

こんないい加減な調子で初めても、やり始めるとなんだかんだでやるから。始めたもん勝ちだと思ってる。

時間の捻出について考える

大人の時間は限られてるよ。
誰しもが仕事や家事、育児。何かしらの社会の役割を持ってる。

 

それを知っていながら敢えて言っちゃおう。

「頑張りたくても、時間がとれない」と思ってしまうならすでに詰み。

1日24時間なのは未来永劫変わらないので、時間は一生とれないのです。多くの場合、年を重ねれば重ねるほどやる事は増えるのです。仕事も家庭も。

とれるまで待つなら老後まで待つがよい。

 

以前、知人が嘆いていた。
「仕事して帰って、食事して風呂に入る。こんな生活のどこに時間が作れるっていうんだ!」

作るしかない。としか言えない。

 

 

時間を作る。ってこれ文字通り。
引きちぎって、こねくりあげて、切って貼って作る。何を引きちぎるかといえば今の日常

  • 趣味の時間をあてるか
  • 睡眠時間を削るか
  • 食事時間を削るか
  • 仕事を早く終わらせるか

「この生活が当たり前」と感じてる枠を取っ払っわなきゃ時間は捻出できないと思う。。

時間の捻出は、自分を楽にする方法でもある。頑張る時間を作ることが出来るなら、休む時間を作ることも出来はずだから。

頑張る自分をイメージできるか

「一生懸命、頑張ります」

もしこれが社交辞令でないなら、どんな風に頑張るかイメージはあるのか。これって意外と大事じゃだとと思うの。

 

自分の話をします。

わたし、小学3年生くらいまですっごく足が遅かったんです。今も昔も運動センスはゼロ。

体育でも運動会でも、徒競走はビリだった。既に「自分は運動ができない」って一種の諦めがあったから。全く気にもせず向上心もなかった。

 

そんなある時、授業で100mを走る。

どうせ私はビリなんだから早く終われーと念じながら走る途中。

 

「あれ?もっと体を動かそうと思えば動くかも」っていきなり感じた。

 

確かに足も腕も、まだ伸びしろがあることに初めて気づいた。

 

じゃこれをめちゃくちゃ動かしてみよう!って。どうせビリなんだから何でもいいやって。
ヤケクソで走った。

授業もクラスメイトもその瞬間は忘れてた。
気がついたらビリから2位に追い上げてゴール。自分のことだって信じられなくて呆然。

その時、

全力にはやり方があるんだ。頑張るってこうやるんだ。

と幼いなりに思ったんです。

30歳を超えた今でも、「頑張る」の根底にはこの時の記憶が強く残る。
それまでも、頑張って走ってなかったわけじゃない。「頑張ってたつもり」だった。走り終わったらゼーゼーいってるし。いやどう考えても全力でしょコレって。

 

何が言いたいかって、

「頑張る」の閾値は自分次第ってこと。

どこまで頑張れるのか
どうやって頑張れるのか
頑張った結果がどうなるのか

まだ見たことがない頑張った姿と、頑張った先の未来をイメージできたなら。頑張ることがもっと楽しくなるんじゃないかな。

まとめ

頑張りたいのに頑張れない

そんな時は

頑張れない自分が、頑張りやすい流れを作る。

そんな視点で考えてみるといいかもしれません。ていう話でした。

いんふぁー

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