孤独のさみしさから何が見える??

 

孤独を肯定するための歩みというのは、私にとってヒジョーーーに長い道のりでした。

最近になってようやく、ちょっとずつ。孤独から得られるものもたくさんあるのがわかってきて。受け入れられる部分も増えてきたかなと思う。

それでも、どうにもならなかった問題がある。

孤独は「さみしい」

ということ。

学校で、社会で、家で。
集団の中で孤独だったこと、
周りに誰もいない、物理的に孤独だったこと、
隣に友達や彼氏がいても孤独だったこと。

こんな時に感じる、スーンとした心の隙間。
大切な忘れ物をした鞄のように、満ちているように見えて何かが足りない。不自然な重さの胸中。

これがさみしいってやつ。

さみしさからの、逃げ道を作りたくてどれだけ悩んだだろう。だって、さみしくならないって最強でしょう??

1人ぼっちでも、さみしさを感じない人間になれたなら、どれほど生きやすくなるんだろうね。

  • 強くなればさみしくない。
  • 夢中になるものがあればさみしくない。

と克服するか?

 

  • さみしいこと自体が思い込みだ

と認知を疑うか?

 

  • さみしさも人の成長に必要だ

と称賛するか?

的外れではない気がするけど、正直どれも詭弁にしか思えない。さみしいもんはさみしいでしょ。

「人はみなひとり」なんて言えども、人生の宝は友達、愛はお金より大切、という価値観に溢れている中で生きていたら、そう簡単に割り切れるもんかと思う。

結婚して子供がいて、頻繁に友達とランチする女友達。その全てを持たない私が、あの子も私も同じ1人。なんて思える境地にはいつ行けるだろう。

ましてや、手に入れたものの中から孤独を選んだわけじゃないもの。本当は「ひとりじゃないこと」に誰よりも憧れていたけど、持たざるままだ。

最終的には「さみしさ」と対峙するより他なかった。目を背けたってどうしようもないから。せめて、この「さみしさ」ってやつが何者なのか、フラットな視線で見つめるようになってた。

そんな私が「さみしさの本質」を書いてみようと思う。いつもながら完全に持論です。

さみしさを作っているのは3つ。

  1. 他者との比較
  2. 本能
  3. 観測者がいない不安

他者との比較

例えば休日、ファミリーやカップル、友人同士でいる人達がいるのに、自分は1人だったとする。さみしいと感じる。

学校や社会などの集合体の中で、自分以外の皆が仲良くしていると、羨ましいと感じる。

これは他者と自分を比べています。

いまや、どれだけ「充実した人間関係があるか」は幸せバロメーターの一つにもなってる。お金、家族、仕事の充実、夢、愛とかそんな感じのやつで幸せ度を数値化するならば「人間関係も」そうだと思う。

だから、自分よりあの子の方が交友が多い=あの子の方が幸せ=自分は幸せじゃない

と感じてしまう。

「お金持ちでいいなー」と同じ。

他者との比較は孤独に限らず、あらゆるネガティブの権化といえるよね。そんな自分もかつて、もはや趣味と言えるほどの比較中毒だったけど。

ただこれは、「孤独によるさみしさ」いわば1人でいることでのさみしさとは少し違う気もするんですね。

本能

進化論だとか歴史だとか人間のルーツには詳しくないけど。とりあえず原始人まで遡ったとしても人は集団行動をしていた。

集団で住んで、食べ物を得て、寝る。

そう考えると、孤独になることでさみしいと感じるのは、遺伝子レベルでの警告なのかなあとも考えるわけです。一人だと生きていけないんじゃないか??って。

もしそうなら、いくらメンタルを強くしても、気をそらそうとしても、太刀打ちできない。

「もう、さみしさと戦っても消耗するだけなんだな。」と。対抗威力を完全に削がれた結論です。

観測者なくして生きられるのか

2つ目の本能に引き続き、「孤独によるさみしさ」の本質だと思ってるのがこれ。

観測者なくしてに生きることが怖い。

観測者とは私以外の「私の人生を観測する人」の存在。家族や友達、恋人だけでなくちょっとした知り合いもそう。

 

人生を観測するなんて、ちょっと気持ちが悪い言い回しではあるけど。

自分の

外見の変化、成功や失敗、ターニングポイント、決意、努力、歩み。

どれか一つでも、チラリと見てくれる。誰かしらの存在があるかないかというのはすごく重要だと思うんです。全てを見なくても同じ人でなくてもいい。

もしも、

どんなに足を踏ん張って生きていたって、この世界の誰も気づかなかったら??
どんなに外見を綺麗にしていたって、誰の目にも入らなかったら??

・・・
成功しても、失敗しても、悲しくても、嬉しくても。誰もそのことを知らなかったら??

それが「観測者なしに生きる」ということです。

友達がいる、恋人がいるとかそう以前の問題。孤独であるということは、いつかは観測者がいなくなるんじゃないかという、不安を孕んでいる。

「さみしい」という感情を掘って掘って、中心部にあった冷たくて硬いものがこれでした。

まとめ

「孤独によるさみしさ」を解消するのは難しい(まぎらわす方法は色々あるけどね)と思ってる。他者とも比べてしまうし、本能には逆らえないから。逆に解消しようとして生き辛くなるのなら、受け入れた方が楽だと思う。

でも、3つ目の「観測者なくして生きられるのか」は別です。

たとえ心許せる人がいなくても、自分を理解してくれる人がいなくても。どこかの誰かがふと空を見上げた時に、チラッと光る星のようでありたいと願う。

私は観測者なしでは生きられない。

いんふぁー