孤独が主観的すぎて興醒めな今日この頃
- 2020.05.12
- 孤独
孤独な星たちへとゆーブログ名にしたっていうのに、孤独な記事を全然書いていないじゃないか。
どういうことなんだ。
いやーどうも私、リアルな自分の心境と並走することしか書けないみたいです・・。
文章で食べてる人ってすごいな!
あんまり孤独じゃないわけです。ここ最近。
最近の近況は、健康茶にハマってお茶ばかり飲んでいるのでトイレが近いです。
交流関係が変わったわけでもなく、むしろ自粛でぼっち時間は増えているはずなのに。
なぜ孤独感が薄まってるんだろうと考えたら、シンプルに「それどころじゃない」。
考えるのは仕事や生活やコロナのことばかり。
世の中全体が自粛になり、他社と自分を比較する機会が減ったのも大きいかも。
今まで内面にこもりがちだったのが、外からの情報に引っ張られる(ニュースとか)からこもれないし。
要は他のもっと大事なこと考えてたり、周囲の環境が変わったことで孤独じゃなくなったってことです。
つまり、わたしがKODOKU〜辛い〜とぼやいているのがいかに主観的なものか思い知らされた。
孤独はむしろ贅沢品なのかもしれない、とはうすうす思ってたんだよねー。
主観的な孤独って、ある程度の余裕がある暮らしを前提に形成されてるんじゃないかって。
余裕がある=お金がある
じゃない。
もち、自分はどこに出しても恥ずかしくないワープアだ。金銭的な余裕はゼロ。
それでもこの日本では、日本人として、や女として幸せかどうかは置いといて、
生きていくだけなら割と深いところまでセーフティネットがある方だと思うの。
そんな「生きてはいけるっしょ」みたいな余裕があるからこそ、主観的な孤独を感じていられるのかなって。
いつウィルス感染するかわからない、とか明日食べるものがない、とか。危機的状況ではなかったからこそ、孤独ってナンダロウとか考えてブログにまで書いちゃってるわけですね。そう、暇人なんです。
今思えば、主観的な孤独が爆走してアイデンティティみたくなってるからね。もはや世界観だからね。
長年抱えてきた重い孤独という名の闇が、
海外通販で買った洋服なみにペラペラの生地感だったとわかり、自分で自分に興醒めしてたっていうのが正直なところ。
物理的な孤独は確かに存在する。
わたしのように「孤独な世界観作り上げがち病」な人もいる。
物理的と主観的がミックスされたハイブリット型もいるかもしれない。色々ですね、深いなあ(小並感)。
人間性の薄さにしょんぼりしてますが、孤独について考えることはやめたくない。
今の環境がイレギュラーなだけで。いつもはここまで自分を俯瞰して見れないし。
最近本も読んでるから、影響受けてるし(すぐ影響される)。
社会復帰したら、またズルズルと孤独な世界観にハマっていくのは確実なんです。
物理的だろうと、主観的だろうと一生考え続けるだろうなーと思います。
最後に全然関係ないけど、今更だけど、広告が文のえらく中途半端な箇所にグイグイきててすみません。
我ながらうざいです。そのうちどうにかします。
いんふぁー
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